俳句 素盞雄神社

憂国の桃果に固く偲びけり

素盞雄大神・飛鳥大神 桃の実
素盞雄大神・飛鳥大神 桃の実

第90代内閣総理大臣 安倍晋三氏 銃撃事件

昨日、令和4年7月8日。

信じられないような恐ろしい事件が起きました。

日本国中が失意の中、一夜が明けました。

生前にはいろいろと批判もございましたが、この方を失ってはじめて、事件の重大さ、安倍氏の偉大さを知るなど、我々国民は深く反省しなければならないと強く感じました。日本国民の政治に対する無関心さがこの事件を引き起こしてしまったといっても過言ではないように感じます。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

素盞雄神社

荒川区南千住。

ちょうど千住大橋のたもとにこの「素盞雄神社」はございます。

素盞雄大神・飛鳥大神

今から1200ほど前。修験道で名高いあの「役小角(えんの おづぬ)」の弟子であった「黒珍(こくちん)」が、この場所に奇石があることを発見したそうです。

黒珍はこの奇石を崇め奉ったそうです。

そうすると、奇岩が突然、光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授けられたと伝えられております。

以来、素盞雄神社として創建され、「天王様(てんのうさま)」として深く信仰を集めることになりました。

茅の輪の起源

遠い遠い神代の昔、スサノオノミコトが遥か遠くの南の海に妻問いにでかけたときのこと。

陽はすでに暮れ、旅に疲れたスサノオノミコトは蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦将来(こたんしょうらい)という名の兄弟に宿を乞いました。

裕福で立派な家に住む弟の巨旦将来は、顔もやつれ衣服も汚れたその姿を見て、怪しんだそうですが、家も小さく貧しい生活をしていた兄の蘇民将来は、粟柄を座とし、粟の飯で精一杯のもてなしをしたとのことです。

再びその地を訪れたスサノオノミコトは兄に御礼を言い、「もしも疫病が流行したとき、あなたの家族は茅(かや)で作った小さな輪を腰につけていなさい。きっとそれから逃れ、子孫は永く栄えるでしょう。」と伝え帰りました。

その後、突然二人の住んでいる村に疫病が流行りましたが、不思議なことに茅の輪をつけていた兄の家族だけは助かり、弟の巨旦将来の家は途絶えてしまいました。それ以来、村人は疫病が流行ると「蘇民将来子孫也」と口々に唱え、茅の輪を腰につけ疫病から免れるようになったということです。

以来、蘇民将来が腰につけた小さな茅(かや)の輪は、6月の大祓で御神前に設ける大きな茅の輪(ちのわ)神事・茅の輪守となって現在に伝わっているとのことです。(素盞雄神社ホームページより

白桃樹御守(桃の御守)

素盞雄神社では、「白桃樹御守」という別称「桃の御守」を授与いただけます。

『古事記』にある、イザナギノミコトが死者の国の追っ手に桃の実を投げつけて難を逃れたという、桃には悪いものを祓う不思議な霊力があるという言い伝えから、邪気を祓う霊木である桃の木で奉製した災厄除けの御守です。

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