浅草神社

浅草神社の御例祭 三社祭(さんじゃまつり)

日本のお祭りの中でも江戸風情満点の御例祭といえば、浅草神社の三社祭でございます。

この数年のコロナ禍によって開催が見送られていましたが、令和四年(2022年)は開催される予定となっております。

三社祭
浅草神社 三社祭

ところが、最近になって米国大統領の来日予定が発表され、そのための警備体制を整えるために三社祭の一部に制限が発生するとのお話を伺いました。なんでも、宮神輿(一宮、二宮、三宮)の渡御(とぎょ)が、浅草寺境内に限定されてしまう模様です。

三社祭の宮神輿

浅草神社には三基のお神輿がございます。

祭礼の際は、

一之宮 土師真中知命(はじのまつちのみこと)様

二之宮 桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)様

三之宮 桧前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)様

上記の御神霊をそれぞれお移しし、町中を渡御(とぎょ)する習わしとなっています。

檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)・檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)

この二柱の神様は、浅草寺浅草神社にとってとても重要な神様でございます。

推古天皇の御代三十六年(西暦六二八年)三月十八日の朝のことでした。

漁師であった檜前浜成、武成の兄弟が、浅草浦(現隅田川)で漁労に精を出していたところ、その日に限り一匹の魚も獲れなかったとのこと。

投網に掛かるのはただ人形の尊像だけであったと伝えられております。

しかしそれが聖観音像とは知らずに、幾度か海中に投げ入れ何度場所を変えても同じ人形像がかかったといわれています。

兄弟は不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し槐の木の切株に安置しました。

その尊像を拝観した土地の知識人、土師真中知が「これぞ聖観世音菩薩の仏像にして現世御利益仏たり、自らも帰依の念深き仏体である」とお話になられたそうです。

檜前浜成、武成の兄弟によって捧持された場所には、駒形堂が設置され馬頭観音様がお祀りされております。

浅草寺にお参りなさる時には、まず、この駒形堂をお参りしその後、雷門から浅草寺ご本堂に向かう習わしであったとされております。

まさに、聖観音菩薩様ご示現の聖地ですね!

駒形堂をお参りされる際には、馬頭観音様のご真言「おん あみりとどはばうんはった」をお唱えいたしましょう。

浅草寺の建立

土師真中知はその後、剃髪して沙門(僧侶)となり自宅を新たに寺と構え、浅草寺の建立となったと伝えられております。

浅草寺建立に携わられた土師真中知命(はじのまつちのみこと)様、桧前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)様、桧前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)様のご三柱をお祀りしたのが浅草神社であり、このご三柱の例大祭が「三社祭」ということでございます。

三社祭の御神輿

三社祭の御神輿には、町内神輿と宮神輿の種類がございます。

三社祭は浅草神社の氏子四十四ヶ町を中心に五月の第三土曜日を基点とした金・土・日曜日に行われますが、初日、二日目には氏子四十四ヶ町、それぞれの地域で町内神輿が担がれ、町中がお祭りムード一色になります。

最終日の三日目には、いよいよ宮神輿(一之宮、二之宮、三之宮)が宮出しされ、氏子衆によって御旅所(町会の場所場所に渡ること)に渡御されることになっております。

三社祭宮神輿
三社祭宮神輿(一之宮、二之宮、三之宮)

なのですが、令和四年、ようやくコロナまん延防止条例が解除され、久しぶりの開催が期待されている三社祭

さて、どうなってしまうのでしょうか。

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